弊社が最近関与したM&Aディールとして、日本企業によるオーストラリア企業のM&A案件がありました。巷でいう「クロスボーダーM&A」と呼ばれるもので、使用言語が英語であることはもちろん、異なる法制度、会計基準、また異文化のビジネスパーソンとの共同作業ということで、かなりタフな業務ではありました。ただ、結果として、その苦労を何倍にも上回る経験と知見の獲得、そして何よりも『ビックディールをやり切った』という、何物にも代え難い達成感と、大きなM&A案件のトラックレコードを得ることができました。
当然ながら、M&Aはディールクローズがゴールではなく、「その後から始まるPMIがより重要」ということも重々承知しております。ただ、区切りとして、個別名詞や関係者に固有の秘密事項はサニタイズした上で、戦略的に設計したストラクチャーとその背景にある税務メリットについて、この場を借りて簡単にご紹介できれば、と思います。
目次
採用したM&Aストラクチャー
今回のディールにおけるM&Aターゲットは、オーストラリアの非公開企業でした。10社以上の子会社を持つ、連結売上高が数百億円単位の中堅企業で、非公開企業ではあるものの、株主も経営者株主のみならず、複数の社外の株主が存在していました。
100%の株式取得を目指しましたが、この買収に前向きな経営者株主の一部が株主として残ることを前提に、残りの株主から株式を買い集め、最終的に買収が実施されることになりました。
また、買収ストラクチャーについては、現地の会計事務所の税務アドバイザーの指南の元、現地の税制を考慮しながら、最大限に税務メリットを取ることのできる座組みとして、SPCを2社介在させる形でM&Aを設計することになりました。前後の資本体系は以下のとおりです。
物事を単純化すれば、現地の会社の株式を取得するだけなので、「SPCをわざわざ作って」ということにならないのですが、ここがクロスボーダーM&Aの難しいところ。国が違えば税制や法制度が異なる、ということで、その違いにできる限りフィットしながら、自社にとって一番有利になるスキームとして、この形に落ち着きました。
このようなストラクチャーにしたことによる買収元企業である日本企業のメリット(特に税務面)をまとめると、以下のようになります。
以下で、上図のメリット①〜⑥について、オーストラリアの税制面の特徴の説明を含め、それぞれ詳細にご紹介したいと思います。
当該ストラクチャーを採用したことに伴うメリット
1. キャピタルゲイン(CGT)ロールオーバーの適用
日本でも「キャピタルゲイン」という表現は投資の世界では一般的ですが、株式や債券等、保有している資産を売却することによって得られる売買差益のことを指します。日本の税制では、「有価証券の譲渡による所得に対する課税」という表現の方が市民権を得ているのかもしれません。
このキャピタルゲイン(Capital gain Tax:以下、「CGT」)について、まず、オーストラリアと日本の違いを比較してみました。以下のように、オーストラリアの方が対象範囲が広く、包括的で長期投資を奨励する制度になっているのに対して、日本のCGTは有価証券や不動産といった特定資産に焦点を当てられており、譲渡益に対して一律の税率を適用する、という単純化されたシステムを採用しています。
今回の論点となるCGTロールオーバーとは、特定の状況下で資産の処分に伴うCGTの支払いを繰り延べ(延期)できる制度です。これにより、即時の課税を避け、将来の時点まで税金の支払いを先延ばしにすることが可能となります。
そして、オーストラリアにおいて、このCGTロールオーバーが適用可能な状況として、「Scrip for scrip rollover」として、企業再編や買収を促進する重要な税制優遇措置として認められています。これに伴い、株式交換によって発生したキャピタルゲイン(交換差益)については、税の繰り延べが認められ、株式交換に応じた株主にとって、即時の税金支払いが回避可能となります(注:税金を完全に免除するものではなく、将来の時点まで繰り延べるだけ)
<補足説明>
“Scrip” は金融用語で、会社が発行する株式や証券を指します。ですので、ここでいう”Scrip for scrip” は「株式と株式の交換」、すなわち株式交換を意味します。また、”Rollover” は、この交換に伴う税務上の取り扱い(課税の繰り延べ)を示しています。
今回の案件でも、新たに設立したSPC①の株式とターゲット企業の株式を交換によりM&Aの完遂を意図し、ターゲット企業の株式を有していた既存株主に賛同してもらうことになりました。
では実際に、株式交換に応じた既存株主がCGTロールオーバーが適用されることにより、どのように有利になるのか、を例示を用いて説明したいと思います。
ターゲット企業の株式の取得時の株価を@100、株式交換時の株価(時価)を@500、将来の売却時の株価(時価)が@700になった、という前提に立つと、以下のようになります。
CGTロールオーバーが適用されない場合、本来的には株式交換時に値上がり差益部分について、キャッシュインがなくても課税が発生することになりますが、課税が繰り延べられることになります。
また、CGTロールオーバーの特徴として、課税の繰り延べだけではなく、株主にとって嬉しい制度が”50% CGT discount”(50%の長期保有割引)です。上図でも△30,000豪ドルの割引が適用されています。
この制度には適用条件があり、主に
- 対象資産を12ヶ月以上保有していること
- 個人、信託、または適格な小規模事業者であること(法人には通常適用されない)
- オーストラリアの非居住者には適用されない
とされています。
今回の案件について、CGTロールオーバーが適用される株式交換であることが確認できたため、このM&Aに応じる株主にとっても選択に応じやすい状況だったといえます。
Franking Creditの適用
税制に関して、常に問題・議論になるのが、いわゆる「二重課税」の問題です。企業が行う配当を例に挙げても、以下のように、法人税課税後の利益を原資とした配当であるにもかかわらず、配当を受け取った個人投資家においても、さらに所得税が課せられる、という状態が常態化しています。
そんな中、Franking creditsは、主に企業の配当に関連したオーストラリアの税制における重要な概念になります。以下にその主なポイントを説明します:
- 制度の目的:
Franking creditsの主な目的は、企業利益に対する二重課税を防ぐことです。企業が利益に対して支払った税金を、株主が受け取る配当に対する課税から控除することができます。 - 仕組み:
企業が配当を支払う際、既に支払った法人税の金額を「フランク付き」(franked)として配当に付加します。株主は、この配当とFranking creditを合わせて所得として申告しますが、Franking creditを税額控除として使用できます。言葉の説明だとよく理解できない制度なので、詳細はこの後、数字を用いて紹介します。 - 税率の違いによる影響:
個人の税率が企業の税率より低い場合、超過分の税額控除を還付として受け取ることができます。逆に、個人の税率が高い場合は、差額を追加で納税する必要があります。詳細は同様に、この後の事例を参照ください。 - 投資への影響:
この制度は、特に退職者や低所得者にとって魅力的な投資インセンティブとなっています。税効率の良い収入源として、多くの投資家がフランク付き配当を重視しています。
<補足説明>
税制の文脈では、”Franking”は企業が支払った税金を株主に「通知」または「マーク付け」するプロセスを指します。つまり、配当に対して既に支払われた法人税を「フランク(表示)する」という意味合いです
また、”Credits”は、株主が受け取る税額控除を指します。これは、企業が既に支払った税金の「クレジット(控除)」を株主に与えるという概念を表しています。
したがって、”Franking credits”を直訳すると「フランク付けされた控除」となります。つまり、企業が支払った税金が配当にマーク付け(フランク付け)され、それが株主の税額控除として認識されるという制度を表しています。
現在、”Franking credits”はオーストラリアにおける税務や金融の専門用語として完全に確立しており、オーストラリアの配当課税制度を指す固有名詞として使用されています。
では実際に、数字を用いてFranking creditsについて説明したいと思います。
<前提>
・簡便的に、通貨の違いを考えず、日本における日本企業、オーストラリアにおけるオーストラリア企業がともに100,000の税引前利益を得た、と仮定
・両社とも、1名の株主に税後利益全額を配当する、と仮定
・両国で一般的な法人税率を適用
・オーストラリアの個人の限界税率について、32.5%で試算
上図のとおり、Franking creditが適用されると、企業が既に納税している税額分(C)が税額控除(J)として控除されるため、配当を受け取る個人にとっては納税額がかなり小さくなります。
さらに、前述のFranking creditsの特徴でも述べたように、個人の税率が低い、特に低・中所得者層にとってより有利に機能する制度となります。一般的なオーストラリアでの限界税率19%、32.5%、40%を並べてみると、税率が低いほど、納税額が少なくなることが一目で分かりますし、19%のように、投資家によっては税金の還付を受けることもあります。
特に低い税率区分の投資家にとって、Franking credits制度は非常に有利に働きます。二重課税の観点からも、オーストラリアでは、個人の限界税率に関わらず、実効税率が個人の限界税率と一致するため、完全な二重課税の排除を実現しています。
<補足説明>
限界税率とは、所得税のうち最も高い税率で、課税所得のうち最も税率が高い所得階層に属する所得に適用され、所得全体には適用されません。
以下のGallagher作成のグラフにおいて、例えば、Aさんの所得が$45,000の場合、$18,201を超える部分の$26,799 (= $45,000 – $18,201) に”19%”の税率が適用されることになります。この19%がAさんの「限界税率」(Marginal tax rate)になります(≒その方に適用される最も高い税率のイメージ)
そして、このFranking creditsが今回のM&Aストラクチャーにおいても影響を与えています。
上述のとおり、買収の箱となるSPCをオーストラリアに設立しましたが、これが重要でした。オーストラリア在住のオーストラリア人が海外の会社(例えば日本のSPC)の株式から受け取る配当に関しては、Franking creditsは適用されません。
なので、日本のSPCがターゲット企業を買収し、そのSPCの株式との株式交換を既存株主に提案する上図(B)の場合、既存株主にとって税務メリットとなるFranking creditsが利用できず、SPCからの配当は全額課税対象の所得として取り扱われることになっていました。これは既存株主にとって税務メリットを取ることができず、もしかするとM&Aの合意のハードルになる可能性もありました。
日本企業への配当が現地での源泉徴収税の対象外
SPCをオーストラリアに設置することのメリットとして、ターゲット企業から日本企業XYZ社に対する配当の全額が現地での源泉徴収税の対象外になる点も、税務メリットとして見逃せません。メリットとして認識できる項目としては以下が挙げられます;
- キャッシュフローの最適化:
源泉徴収税がないことで、配当の全額を日本に還流させることが可能 - 実効税率の低減:
源泉徴収税がないことで、国際的な二重課税のリスクが軽減し、グループ全体の実効税率引き下げに寄与 - 税務手続きの効率化:
従来、源泉徴収税がある場合通常の国際配当の流れは以下のとおり、
a) オーストラリアで源泉徴収税が徴収される
b) 日本の親会社が配当を受け取る(源泉徴収税控除後)
c) 日本で配当所得として申告
d) 外国税額控除の申請を行い、二重課税を調整
本件のように、オーストラリアで源泉徴収税が徴収されないことにより、税務手続きの大幅な簡素化が実現可能となる - 資金調達の柔軟性:
税負担が軽減されることで、グループ内での資金移動がより柔軟になり、オーストラリアの子会社から日本の親会社への資金還流が容易になる
SPCを介して、買収資金として負債をより優位に活用可能
M&Aに関して、全額自己資本で行うだけではなく、外部借入による資金を活用して行うM&Aも資本効率の面から魅力的な選択肢の1つとなります。今回も案件についてもLBO(Leveraged Buyout、「レバレッジド・バイアウト」の略語)を活用した買収となりました。
LBOの最大の特徴は、M&Aのターゲット企業を買収するために調達する借入金をM&Aのターゲット企業自身に負担させる(負債はターゲット企業が返済する)点にあります。LBOを利用することによって、買い手側企業は少ない手元資金でも大きなサイズの企業を買収することが可能になります。
そして、LBOを活用する場合、リスクの隔離や財務構造の最適化などの理由により、SPCを設立するケースが推奨されています。今回の案件でもLBOの活用が前提としてあったことからSPCを介在させたM&Aになっています。
今回の案件についても、オーストラリアにSPCを作った理由として、買収融資条件をより魅力的(有利)なものにするため、という背景がありました。
一般的に、融資をお願いする商業銀行は買収先企業と同じ国にするのが望ましい、とされています。今回のケースではオーストラリア企業がターゲットになりますので、スキームとしては(b)か(d)になります。
そして、実際には以下のような理由により、海外企業への融資はリスクが高い取引となり、結果的に利率を高くしたり、返済条件を厳しくするなどのリスクヘッジ策が銀行側で必要となってしまいます。
本件ディールでは、オーストラリアの商業銀行から買収資金のローンを引くことができ、結果的に(d)を採用することとなりました。邦銀からも提案してもらいましたが、やはり利息を含めた借入れ条件はかなりの開きがありました(豪州の銀行の条件がかなり有利でした)。
ターゲット企業が構成している連結納税グループの維持
次の論点は極めてテクニカルな論点になります。オーストラリアに設立するSPCが1社ではなく、2社になる理由がこの連結納税グループの再構築にあります。
結論から申し上げると、ターゲット企業が形成していた連結納税グループを引き継ぐためには、別の連結納税グループがターゲット企業の連結納税グループを取り込む形にする必要があるため、SPCを2社作り、連結納税グループを形成する必要がありました。
◼︎SPC1社のみの場合
オーストラリアの連結納税制度の特徴として、連結納税グループには必ずヘッドカンパニー(最上位の親会社:上図の赤色)が存在する必要があります。しかしながら、SPC1社の場合、ターゲット企業はヘッドカンパニーでなくなり、結果として、ヘッドカンパニーがなくなることになります。この状態は、オーストラリアの税法上、「グループ構造の大幅な変更」に該当し、既存の連結納税グループの解消事由と解釈される可能性が高くなります。
実際に、オーストラリア税務当局(ATO)は、このような大規模な所有構造の変更を、「既存の連結納税グループの実質的な解消」と見なす傾向がある、との現地税務専門家の意見もありました。
既存の連結納税グループの解消に伴い、税務上、連結解除と再連結の追加作業が発生するなど、多大なコンプライアンス負担が発生することになりますので、絶対に避けないといけないイベントと言えます。
(繰越欠損金や税額控除などの税務上の有利な属性の喪失、資産の時価評価の発生による税負担の増加、新たな税務申告や書類作成などの管理コスト増、など、デメリットしかありません)
◼︎SPC2社で連結納税グループを形成する場合
オーストラリアの連結納税制度において、「既存の連結納税グループは、別の所得税連結グループによって取得された場合に保存される」という特徴があります。これを受けて、まずは、SPC①をヘッドカンパニーとする連結納税グループを形成し、このグループの所有構造にターゲット企業が形成する連結納税グループを取り込むことで、ターゲット企業の連結納税グループを維持することが可能となります。
個人的な解釈で申せば、SPC1社の場合は、最上位のヘッドカンパニーがなくなり、新たに連結納税のヘッドカンパニーを作り直すことから連結納税グループの継続が困難になる可能性が高まりますが、SPC2社の場合、SPC①のヘッドカンパニーは地位は継続しており、その傘下で所有構造に変化があるだけなので、連結納税グループの継続が認められる可能性が高くなります。
日本とオーストラリアの間には優れた租税条約のネットワーク
最後に、日本とオーストラリアの間にはビジネス上有利になる優れた租税条約がありましたが、租税条約がある国同士のクロスボーダーM&Aは一般的にやりやすく、双方にとってメリットがあります。
実際のところ、日本と租税条約を締結していない国は先進国ではありません。未締結国は、アフリカの国やケイマン諸島などのタックスヘイブン、北朝鮮のようなそもそも国交を樹立していない国などに限られるため、租税条約ありきで物事を考えることもできますが、一旦、日本とオーストラリアにおけるクロスボーダーM&Aにおける特徴として取り上げさせてもらいました。
終わりに
今回関与したクロスボーダーM&Aのストラクチャーが、以下のような税務面および財務面で複数の利点を兼ね備えている点、説明させていただきました。
1. 税務面での最適化:
– オーストラリアの株主に対するCGTロールオーバー救済やフランク配当の確保
– 日本企業への配当に対する源泉徴収税の回避
– 既存の連結納税グループの維持
2. 財務面での柔軟性:
– SPCを活用した負債による資金調達の最適化
3. 国際的な税務環境の活用:
– 日豪間の優れた租税条約ネットワークの利用
このM&Aストラクチャーは、日豪両国の法制度を最大限に活用し、税務効率と事業価値の最適化を同時に実現する戦略的枠組みであり、複雑なクロスボーダー取引に伴う課題を巧みに解決し、グローバルな視点と地域特性への深い理解が融合した、現代のグローバルM&Aにおける我々の中での一つの模範例になったと考えています。
これと同時に、この日豪間クロスボーダーM&Aに携わる中で、様々な深い驚きと知的興奮も覚えました。対象国(本件ではオーストラリア)の税制がM&Aストラクチャーに与える影響の大きさは、まさに目から鱗が落ちる経験で、CGTロールオーバーやFranking credits、連結納税グループの維持といった概念が、取引構造を大きく左右する現実を目の当たりにし、国際M&Aの奥深さと複雑さを痛感しました。
振り返れば、この経験は単なるM&A取引の遂行のサポート業務を超えて、グローバルな視点と緻密な専門知識の融合、異なる法制度や税制が交錯する国際ビジネスの醍醐味を体現するものでした。
クロスボーダーM&Aの魅力と難しさ、そして日本企業への期待
このプロジェクトを通じて、クロスボーダーM&Aがいかに難しいものであるか、という肌感覚を獲得すると同時に、極めて魅力的な分野だと再認識しました。今後も、この分野における新たな発見と挑戦が、ビジネスの世界に革新をもたらし続けることを確信しています。
将来的に、多くの日本企業がこうしたクロスボーダーM&Aに挑戦し、成功を収めていくことを期待しています。そして、その過程で得られる知見と経験が、日本企業のグローバル競争力をさらに高めていくことでしょう。
クロスボーダーM&Aは困難を伴いますが、それ以上に大きな成長と価値創造の機会を秘めています。日本企業がこの分野でリーダーシップを発揮し、世界経済の舞台で新たな成功物語を紡いでいくことを、心から期待しています。
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