洗練された文章作成力

監査法人時代、プロフェショナルファームとしての成果物となる報告書の類を本当にたくさん作ってきたので、表現や言い回しを含めた文章力にはかなり自信がありました。そんな中で大手コンサルファームに転職。
高いポジションでの入社とあって、最初のジョブで報告書の作成を依頼された時は、自信をみなぎらせ、気合を入れてチャートを作成しましたが、結果は見るも無残なくらい上司のレビューで修正され、自信があったはずの文章力も「粗いなぁ」と酷評されるデビュー戦となりました。

当時、色々レビューを含め、本当によく面倒を見てくださった方は外資系コンサルのAccenture出身の叩き上げのディレクター。指摘事項が本当に鋭く、自分の力が全然足りないことを素直に受け入れるだけの情報を与えて頂きました。

そんな彼が
『この本を読んで、文章を書くってことの意味や基本を見直した方がいい』
として教えてくださったのが、

「理科系の作文技術」(木下是雄著:中央公論新社 (1981/9/22))

でした。紹介してもらった後、すぐに購読して何度も読みなおしました。確かに、こういう理詰めで文章を書くってことを考えたことがなく、自分が明確に認識していないことばかりでした。

当時からPPTのチャートが成果物であることが多かったですが、WordやExcel、またはメールも含めて、やはり職業的専門家たるもの文章が書けてナンボの世界。本当に良い本と巡り合うことができました。

このようなことを経て、足腰据えて文章力に磨きをかけ、昔とは違う揺るぎない自信を構築することができました。

一方、文章を自分で書くことも以前生業にしていますが、人が書いた文章や成果物をレビューすることも増えました。人が書いた文章を読んで感じることは、基礎を知らないばかりに読みにくかったり、全然内容が伝わってこないアウトプットがたくさんあるということです。非常にもったいないと思うし、自分も昔はこうだったんだろうという思いがあり、都度気付いた段階で指摘・助言をさせてもらっています。

今回のコラムでは、全部は書けないものの、このコラムをせっかく読んで頂いた皆様へのお土産として、いくつか、基礎中の基礎のポイントについて、触れてみたいと思います。

1.アウトプットを作る際の共通の心構え

報告対象が誰か、ということをまず確認しましょう。プレゼン資料の場合、特に意識する必要がなければ、基本は「情報量」よりも「情報の質と理解度」に優先度を置くこと、また、読み手は50歳以上のエグゼクティブ層という前提を置くのがいいでしょう。
成果として情報の量を求められるケースもありますが、その場合でも無機質に情報を並べるのではなく、より選び抜かれた情報のみに絞るのがプロとしての存在価値だと認識しています。

言葉・表現についても、報告対象を意思決定層と置くことで、理解してもらうために最適な表現は何か、意識付けしたいキーワードをどうするか、についてのこだわりを持たないと、しっかりしたアウトプットが生み出せなくなるので、言葉選びに緊張感を持つことができます。

写真:freepik.com

2.真っ先に考えることは全体構造、説明の流れ

読み手はストーリーに沿った説明であれば、内容が難しくても理解ができるようになります。そんな中で文章を読むときも、例えば、パラグラフが変わった時、読者は自然とトピックが変わることを無意識に期待します。パラグラフの方向性、このパラグラフの全体での位置づけ、ここからどう流れていくのかに興味を持つことで、俄然食い込み度が変わってきます。

3.無駄な文言は1文字でも少なくする

現代社会は情報過多の時代であり、なくても済む言葉は1つ残らず削る必要があります。特にプレゼン資料であればなおさらで、自分も聞く立場だと常々感じますが、聞きながら読むのは至難の業です。極力、情報を最小限にすることがプレゼンター(資料の作り手)としての責任であり、腕の見せ所になります。

4. プロとしてはっきり言い切る

自分自身が教わった本を読んで一番「できていないな」と感じたところがこれでした。以下、本から引用させてもらいます。

私たちは、無意識のうちにぼかしことばを濫用する習慣をもっている。仕事の文書のなかでも、「ほぼ」、「約」、「ほど」、「ぐらい」、「たぶん」、「ような」、「らしい」、・・・の類をできるだけ削ることも大切な心得の一つだ。
ぼかしことばを入れたくなるたびにそれが本当に必要なのかどうかを吟味する習慣を確立すると、文章はずっと明確になる

「理科系の作文技術」(木下是雄著:中央公論新社 (1981/9/22)), P99

私自身もお恥ずかしながら、「~と思われます」「~と考えられます」という表現をよく使っていましたし、「ほど」のような表現を使う時は大抵情報不足の場合でした。情報不足の中でアウトプットを出さざるを得ない場合、あえて能動態ではなく受け身体の文章を書くというテクニックがありますが、基本的にプロとしては使うべきではない、と思うようになりました。
(誰がそう考えるのか、がぼやけてしまうため)

これは正確には情報の当否の最終的な判断を相手に委ねて、自分の考え方をぼかした言い方であり、プロとしてポジションを取っていない(意見を述べていない)ことを意味します。
責任回避的な表現を避けるためには、しっかりした考えや理論武装が必要で、大変疲れるし、責任が大きくなります。でも、やはりこれなしではプロとしてお金はもらえない、そう我々は考えています。

写真:freepik.com

5.事実と意見の切り分け

社会人になると、報連相が大事と教わり、先輩や上司に報告する機会が増えますが、その際に多くの方が注意された経験がある事項の1つに、

「どこまでが事実で、どこからが意見か」

ということだと思います。報告内容の中に事実と意見が混在してしまっているので、聞き手が判断、意思決定できない状況です。これは文書の中でも当然起こり得ます。

そして、結論から先に申し上げると、先日の付加価値の観点からも、情報が特定的であるほど、また漠然とした記述ではなく明確に書かれているほど、そして具体的であるほど、情報としての価値が高い(Add Valueになっている)ことになります。そして、さらにこの事実をデータ分析として複雑な事象の可視化を図るとなお付加価値度は増します。

また、意見で付加価値を出す場合でも、事実の裏打ちがあってこそ強力な説得力を生み出します。なので、説得力のある意見を打ち出すための強力なインプット情報を漏れなく入手する必要性がここでも認識されます。

以上、簡単ではありますが、私が今でも流儀としている文章を書く際の意識をまとめさせていただきました。我々としてはプロジェクトの目的を達成するだけではなく、きちんとわかりやすい成果物を作ることにもコミットして、クライアント様の課題解決のお役に立ち立ちたいと考えています。

追伸 
以下が今回ご紹介した1冊になります。個人的に、文章を書く仕事に携わっている方には「必読の一冊」と思っているくらいの良書です。

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